mywall20180114

new collage

興味の推移概要 20171127

<興味の推移概要 20171127>
コロボックル物語→リカちゃん人形→スーファミ/ドンジャラ→プレステ→ハリウッド映画→存在への問い→アニメ/マンガ→パンク→哲学→美学→芸術論→文化歴史→ネット社会→社会学→抽象画→空間/無への憧れ→存在と無→現象学/無による充満→禅→モダニズム→理想郷→ユートピア→ディストピア→ポストモダン(ちょっとヤサグレル)→心理学→愛?→反省→垣根の内側から出ておいで→困惑/ロスト/静→守破離の守→自信ジワジワ→ポップアート→ポストモダンiine→人気者→下ろしてくる人→上がりたい人→相互依存→やりたいようにやると意外に楽だしイイ感じ(破と離)→直感 ←今このへん (他には、アフォーダンスと建築と幾何学とリズムと数学に興味があります)

abstract comic

ちゅうしょうまんが。

sketch_201309

sketch_201309

「知覚の哲学: ラジオ講演1948年」より

〔セザンヌが実行したように〕生きられた経験によって把握された世界をふたたび見いだすこうした努力をはらうことによって、古典的藝術の慎重さはすべて消し飛びます。絵画の古典的教育は遠近法を基礎としています。とういことは、たとえば〔この種の教育で育てられた〕画家が風景を目の前にするとき、彼は、キャンバスには見えるものについてのごく慣習的な表象以外のものは持ち込むまいと決めているということです。画家はまず近くの樹を見ます。それからもっと遠くの道路に目をとめ、そして最後に水平線に視線を向けます。いかなる点を見つめるかに応じて、〔見つめられた対象以外の〕あらゆる対象の見かけの次元に修正が施されます。画家はキャンバス上にこれらさまざまなヴィジョン、つまり知覚された光景のあいだの単なる妥協を描くことで折り合いをつけるでしょう。…〔略〕…これらの〔絵画に描かれた〕風景は〔鑑賞者から〕距離をおく存在であり、彼は風景に入り込んではいません。それらは〔鑑賞者にとって〕行儀のいい知人のようなもので、彼の視線はざらつきのない風景の上を自在に滑ってゆきます。ところが、知覚を生きる私たちが世界と接触する場合、世界はこんな風には立ち現れません。

知覚の哲学: ラジオ講演1948年 (ちくま学芸文庫) [文庫]
モーリス メルロ=ポンティ (著), Maurice Merleau‐Ponty (原著), 菅野 盾樹 (翻訳) (p71)より