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「知覚の哲学: ラジオ講演1948年」より

〔セザンヌが実行したように〕生きられた経験によって把握された世界をふたたび見いだすこうした努力をはらうことによって、古典的藝術の慎重さはすべて消し飛びます。絵画の古典的教育は遠近法を基礎としています。とういことは、たとえば〔この種の教育で育てられた〕画家が風景を目の前にするとき、彼は、キャンバスには見えるものについてのごく慣習的な表象以外のものは持ち込むまいと決めているということです。画家はまず近くの樹を見ます。それからもっと遠くの道路に目をとめ、そして最後に水平線に視線を向けます。いかなる点を見つめるかに応じて、〔見つめられた対象以外の〕あらゆる対象の見かけの次元に修正が施されます。画家はキャンバス上にこれらさまざまなヴィジョン、つまり知覚された光景のあいだの単なる妥協を描くことで折り合いをつけるでしょう。…〔略〕…これらの〔絵画に描かれた〕風景は〔鑑賞者から〕距離をおく存在であり、彼は風景に入り込んではいません。それらは〔鑑賞者にとって〕行儀のいい知人のようなもので、彼の視線はざらつきのない風景の上を自在に滑ってゆきます。ところが、知覚を生きる私たちが世界と接触する場合、世界はこんな風には立ち現れません。

知覚の哲学: ラジオ講演1948年 (ちくま学芸文庫) [文庫]
モーリス メルロ=ポンティ (著), Maurice Merleau‐Ponty (原著), 菅野 盾樹 (翻訳) (p71)より

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